土地公は郷土の守護神で、俗に「田頭田尾土地公」と言われ、土地公が至るところに存在する様子を表し、台湾で最も普遍している民間信仰です。土地公はまたの名を福徳正神、福徳爺、福徳公、伯公、土地爺、土地神、地主公、土地、土伯、土正、地主、社神、社公、社官、后土と呼んでいます。


  •   土地公の由来に関しては多くの言い伝えがあり、一説では自然崇拝に由来し、土地と関係する石や樹木と結びついて、石を社とする場合や、大樹を社とする場合などがあります。また、一説では人格神の社会崇拝から始まったとされています。伝説では、井工の頭が不周山に触れて北西の天柱にひびが入った際に、女媧が石を錬成して天に空いた穴を塞いだとされ、「句龍后土」が天地を元の状態に戻したと言われています。(関連する『左伝』の記載:共工氏有子曰句龍,為后土,后土為社。)句龍は最初に土地公として人格化された神明で、后土を社とし、土地と水利に関して手柄を立てています。

      民間では張福徳が土地公になったという伝説もあり、周朝の上大夫の家僕であった張明徳(もしくは張福徳)は、主人が家中に幼い娘を残して遠地に赴任した際、父親の元へかの娘を連れて行く途中で風雪に遭い、自らの衣服を与えて主を守ったために凍死したと言われています。臨終間際に空中には「南天門大仙福徳正神」の九字が出現し、忠誠心に対する称号を得ています。朝廷で上大夫の話を聞いた周武王は感動し、大夫に相応しいとして称号を与えたことから、土地公は宰相帽をかぶっています。

      善書の『福徳正神金経』には別の伝説が記載され、土地公は姓を張、名を福徳とし、周武王2年2月2日に生まれ、税官を務め、民をわが子のように愛して無数の善行を行い、享年102歳で往生しますが、死後三日間は容貌が変わらず、顔色にも血の気があったと言われています。後任の税官は悪徳の限りを尽くして民を搾取したため、人々は張福徳を懐かしみ、一人の貧民が4つの石を拾い、一つを屋根に見立て、残りの三つで壁を作って小さな廟を造り拝んだところ、五穀豊穣で富豪になったと言われています。このことから民は神明の加護を信じ、合資して廟と金の神像を造り、「福徳正神」と名付けています。また、別の説には土地公は日頃からその地方で貢献のある品徳高尚な人で、死後に城隍爺によって土地公に任命されるとし、他にも、徳のある人が死後に上帝によって土地神に任命されるとの説や、公務で過労死した温厚実直な某官老爺であったとする説もあります。