三官大帝は天官・地官・水官の三名の大帝を併せた呼び名で、民間では天官は福を賜い、地官は罪を赦し、水官は厄を解くと言われています。『続修台湾県志』の記載によると、三官の名称は東漢末期に出現し、宋景濂から始まり、張修の太平道と張道陵の孫張魯の五斗米道でも天・地・水を三官もしくは三元としています。三官は天・地・水の三界を司り、元は自然崇拝であったものが擬人化しています。また、俗に三界公、三界爺とも呼ばれ、中国大陸では三官老爺と呼ばれることが多くなります。


  •   天官の全称は「上元賜福天官一品紫微大帝」で玉清境に属し、青黄白の三気から成り、諸天の帝王を代表し、毎年1月15日に人界に降りて人々の罪と福を評定することから、天官賜福と呼ばれています。地官の全称は「中元赦罪地官二品清虛大帝」で上清境に属し、元洞混霊の気と極黄の精から成り、五帝五獄の諸神仙を代表して、毎年7月15日に人界に降りて罪と福を定め、人々の罪を赦します。水官の全称は「下元解厄水官三品洞陰大帝」で太清境に属し、風澤の気と晨浩の精から成り、水中の諸神仙を代表して、毎年10月15日に人界に降りて罪と福を定め、人々の災厄を解消します。

      三官はそれぞれ、天官は福を賜い、地官は罪を赦し、水官は厄を解くことから人々の禍福栄辱と密接に関係し、広く信仰されています。三官大帝を祭祀する風習は道教の祖である「修三元黙朝之道」と関係していると考えられ、太上天師が立教してすぐに始まったとされていますが、当初は専用の祠も神像もありませんでした。北魏の時代には三官の三元節が始まり、太上天師が布教した当時は三官の書に基づいて、天官に祈る者は山に登り、地官に祈る者は地に埋まり、水官に祈る者は水に沈めます。また、道教の斎法の三元斎は、三官が人界に降りて人間の善悪を査定し、功労者を見極める決められた三日間に行われます。