観音仏祖殿は關渡宮正殿の左手側(向かって右側)にあり、主神として観音仏祖を祀っています。『天妃顕聖録』の「天妃降誕本伝」では、媽祖降誕にまつわる因縁が以下のように描かれています。「二人陰行善、樂施濟,敬祀觀音大士。父年四旬餘,每念一子單弱,朝夕焚香祝天,願得哲胤為宗支慶。歲己未夏六月望日,齋戒慶讃大士,當空禱拜曰:『某夫婦兢兢自持,修德好施,非敢有妄求,惟冀上天鑒茲至誠,早錫佳兒以光宗祧。』是夜,王氏夢大士告之曰:『爾家世敦善行,上帝式佑。』乃出丸藥示之云:『服此,當得慈濟之貺。』既寤,歆歆然如有所感,遂娠。二人私喜曰:『天必錫我賢嗣矣。』」(観音大士を信仰する夫婦が祈願の末に子を授かったという内容。)
このことから媽祖と観音が結びつき、媽祖は観音の化身であるとされています。観音信仰は湄洲島の林村林族に伝わる伝統信仰で、媽祖の故郷では媽祖信仰と観音信仰が長年共存し、少なくとも明の洪武年間には既に観音の祀られている観音堂が存在し、後に媽祖廟では観音菩薩が祀られるようになっています。観音菩薩は大乗仏教における大菩薩のことで、梵名「Avalokitesvara」(アヴァローキテーシュヴァラ)は「高みから観望する君主」もしくは「下界を覗く神」を意味し、月氏大僧竺法護によって「光世音」と訳され、鳩摩羅什の旧訳では「観世音」、玄奘以降は「観自在」と訳されています。
言い伝えによると、唐代には太宗李世民の名と重なることを避けるために「世」が取り除かれ、「観音」となったとされていますが、実際は2世紀の『成具光明定意経』の中でも「観音」の呼称が出現し、当時は特に取り上げられることなく、その後『悲華経』『華厳経』『観世音菩薩授記経』等の漢訳経典で「観世音」と「観音」が同時に見られるようになっています。また、浙江の舟山群島には観世音の道場であった普陀山があり、浙江南東の海辺にあることから観世音を「南海観世音」と称することもあります。