廣渡寺と功徳堂には、地蔵王菩薩と信徒の先祖の位牌が祀られています。地蔵王菩薩は仏教での称号を地蔵王、道教では幽冥教主・酆都大帝としています。『大乗大集地蔵十輪経』には「地蔵」の名の由来が記載され(安忍不動猶如大地,靜慮深密猶如祕藏。)、地蔵菩薩は如来の三徳を有し、密かに際限ない妙法と法財を持ち、無数の衆生を教化して修行の成就を助け、解脱をもたらすことができるとされています。
仏教では地蔵王菩薩は釈迦牟尼仏の入滅後、弥勒仏が出現するまでの間、釈迦牟尼仏の引導を受けて五濁悪世の仏不在の期間に衆生を導くとしています。『地蔵菩薩本願経』には地蔵王の大誓願の内容(立發大願王,願我盡未來,苦海作舟航,眾生悉度盡,我方證涅槃,地獄如未空,誓不作法王。發大誓願已,生生勇力強,歷劫修萬行,身居常寂光,分身千百億,塵剎現地藏,常在幽冥中,方便作教主,救度諸眾生,脫苦生天堂。)が記され、他の菩薩の誓願に比べて深重で、「閻浮提」と因縁が深く、専ら人の幸福と仏道の円成を施し、誓願の代表的菩薩と言えます。
言い伝えでは、安徽の九華山が地蔵菩薩の説法した道場であると伝えられ、新羅国(現朝鮮半島南東部)の僧侶・金喬覚は地蔵菩薩の化身で、唐代玄宗の時代に九華山に入り修道したと言われています。地蔵王(西暦696~794年)は釈迦の入滅から1500年後(唐の偵観3年)に新羅国に降り立ち、姓を金、名を喬覚として、古代新羅国の王族金氏の近縁として生まれています。金喬覚は若くして大唐に留学して漢学を修め、帰国後に王族の生活を放棄して出家したと伝えられています。唐の開元7年(719年)、金喬覚24歳の年に神獣「諦聴」と共に航海して江南池州府青陽県の九華山に至り、九子峰の頂上に75年間端座し、唐の開元16年7月30日の夜、齢99歳に入寂しています。そのため、民間では毎年7月30日(もしくは29日)を地蔵王成道の日としています。
また、地蔵王は地府を主宰し、閻王と東嶽大帝の上司であると見なされているため、葬儀や超度法会、普度では地蔵王菩薩がたびたび祀られています。墓地、霊骨塔や戦乱・事故のあった地にも地蔵王が祀られ、死者を成仏させて生者を守る願いが込められています。菩薩は宝冠を頭部に戴き、瓔珞と天衣を身に付けていることが一般的ですが、地蔵王菩薩の造形は主に二種類あり、一方は菩薩像ですが、もう一方は比丘像で、坊主頭もしくは毗盧冠を頭部に戴き、袈裟を着て錫杖を持つ造形となっています。