關渡宮は清代から日本統治時代にかけて、幾度かの修復・改修工事を経ましたが、当時制作された龍と虎の巨大な石彫の壁や龍柱、石柱、石獅子等は現代に伝わり、工事の際もそのまま建材として利用されています。1950年代の再建工事では現在の三川殿と正殿の構造が確立され、2003年の改修工事では石彫の位置と雛形が出来上がっています。さらに1970年代から1980年代にかけては、古仏洞、財神洞、凌霄宝殿の建設が始まり、2000年の財神洞と凌霄宝殿の改修工事では近現代の龍柱や石獅子、壁面装飾が見られるようになります。また、2008年に完成した「媽祖靈應神蹟石雕牆」(媽祖にまつわる事跡を描いた石彫の壁)は全長105メートルに及び、前述したものと併せて關渡宮の古今の石彫芸術を形成しています。
これまでの改修や増築工事の中で、幾つもの記念碑や石彫が現在まで残され、石の龍柱や花鳥柱、石彫の壁、石窓、石獅子、石塀等があります。これらは關渡宮の過去を物語ると同時に、石碑に刻まれている歴史の証明でもあり、清代以降の廟建築と石彫芸術の変化を反映しています。また、朽ちることのない石彫と、生き生きとした浮き彫りの技法によって、石に刻まれた壁画は「忠孝節義」の歴史物語を伝承し、史詩のように脈々と媽祖霊験の事跡を語り継ぎ、關渡宮をより一層聖域化すると同時に、信徒の精神世界を豊かにしています。
全体的には、關渡宮の石彫は形式・題材ともに豊富で、多様な彫刻技法が用いられています。石材に関しては、床面に使用されている「壓艙石」と「泉州白石」(白色花崗岩)を除いて、關渡宮にある清代の石彫のほとんどが大屯山脈の「唭哩岸石」と「安山岩」を使用し、1945年の光復以降は八里産の観音山石が多く見られます。また、1972年に完工した山門の石彫はインドから輸入した赤色花崗岩を使用し、1990年代以降の石彫には福建産の青斗石が使用され、質感が細かく滑らかな「碼頭青」が多用されています。