民国89年(西暦2000年)に第九代董事会(取締役会)が成立し、当時の董事長(会長)・陳林富は媽祖信仰と文化を広めるため、關渡宮財神洞右側の斜面前方に天上聖母霊験に関する石壁を彫塑することを提案し、全会一致で可決しています。執行担当には常務兼総幹事を務めていた黄正雄氏を任命し、取締役会全体と建設会社をとりまとめ、建設計画を立てています。さらに歴史学者の黄富三、蔡相煇教授、役員の廖武治と専門の研究者に委託し、媽祖生前の霊験伝説や人々を守った事跡、關渡宮創建以降の歴史や伝説を69の物語にまとめ、建設設計や施工・監督等を実施しています。
石彫の建設は石彫の大家である王経民主導のもとで、福建産の良質な埠頭青の青斗石を用いて、線彫り、浮彫り、透かし彫りの技法を運用して制作され、各作品には事跡の表題も彫られています。工事は8年後の民国97年(西暦2008年)に竣工し、左右に全長105メートルの壮観な作品となっています。媽祖にまつわる近代の大型作品を記念し、「天上聖母靈應神蹟石雕碑記」と記した記念碑も建てられています。
石彫全体は三枚一組の塀が延々と連なり、媽祖の事跡を刻んだ三枚の石彫ごとに吉祥を象徴する「集瑞」の図柄が施されています。石彫の内容としては、媽祖の生誕から昇天して人々を守るようになるまでと、朝廷に天后の称号を授かり、移民を通じて台湾へ信仰が伝わってから關渡宮創建以降の伝説を描いています。