民国42年に正殿の媽祖殿の天井を高くし、土台を前方に押し出す工事を行っています。同時に造られた彫塑品には、一対の龍柱、「祈」「求」「吉」「慶」の「對看堵」(左右両側の対となる壁)、「風調」「雨順」「国泰」「民安」の「對看堵」、「龍」「虎」の「對看堵」、「双獅戯球」(二頭の獅子が球に戯れる様子)や「書卷竹節窓」(巻物を開いた形の窓枠に竹状の格子が入った窓)の石彫があります。
正殿の一対の龍柱を柱頭・柱身・土台の三構造に分けると、柱頭と土台には八宝等の吉祥を象徴する装飾が施され、八角形の柱身には「弄空鏤刻」(空洞を作る彫刻技法)の彫刻技法で、上から下へと巻き付く神龍、八仙の人物像、花鳥、瑞獣、波や雲の模様を彫刻しています。人物像は三川殿の龍柱と同じく、局部に金をあしらって造形を目立たせ、色彩による視覚効果を運用した典型的な恵安彫刻の特色が見られます。
1953年の改装工事では媽祖殿の左右両壁に、浮彫りと透かし彫りの技法を用いた石壁と石窓が造られています。具体的には「水車堵」の仙翁、「頂堵」の歴史人物、「身堵」の「祈求吉慶」「風調雨順」「国泰民安」、「腰堵」の山王図、「裙堵」の「双獅戯球」、幾何模様で装飾された「櫃台腳」があります。「頂堵」の一例としては、文官が年長者に挨拶をしている側に空の車が置かれている情景が彫られ、周の文王が姜太公に助力を求める「渭水聘賢」のシーンであることが窺えます。
また、左右の対となる壁には、「剔地起突」と「内枝外葉」の浮彫りの技法を用いて、「祈求」と「吉慶」、「風調」と「雨順」、「国泰」と「民安」がそれぞれ彫られています。例えば、龍・虎側それぞれの通路上にある左右の壁には、「剔地起突」の技法で「猛虎」と「神龍」が彫られ、「風調」と「雨順」(季節に適った気候を示す四字熟語)を表しています。このような寓意の演繹は漢代に生じ、『論衡・偶會』の中で「風從虎,雲從龍。同類通氣,性相感動」と記され、民間の寺廟芸術において欠かせない題材となっています。
他には、龍・虎両側の壁に「書卷竹節窓」が見られ、柔らかな巻物の造形をとることで、硬い石の印象を和らげています。窓には丸い竹状の格子が5本彫りだされ、さらに浮彫りで彫られた竹の幹や葉が、視覚を楽しませてくれます。正殿の石彫は全体的に精密かつ熟練した技法と洗練された作風で、台湾に渡来した石職人の恵安と弟子の見事な作品が残されています。
戦争のために廟の修復工事が中断され、十数年経った1950年代初頭の關渡宮正殿の工事の際には、廟の石彫界の大家が再び招かれています。職人の顔ぶれには恵安派を踏襲し、後に大稻埕へと移った張協成石店グループ―張木成系統の職人や、李梅樹主導の三峡祖師廟の張清玉らが見られ、關渡宮の恵安石彫の魅力を支えています。
正殿の石彫の題材は、「風調雨順」「国泰民安」「慶祝国泰民安」「竹報平安」や天下太平の類を祈願するようなものが多く、太平洋戦争終了後の政権交代を経験した台湾の人々の太平を望む声を象徴しているかのようでもあります。