現在の三川殿は民国46年に再建されたもので、民国40年代の再建工事は關渡宮が戦後に初めて取り組んだ大型工事でもあったため、当時の再建委員会は念を入れて、建築士を招いて工事全体を設計し、施工には木彫界の名匠黄亀理を招聘しています。同時に、關渡宮内外の拡張工事のため、元の場所から前方7メートルの場所へ移し、台湾特有の「五軒起」の建築様式を採用し、空間の拡大に伴って木彫作品も増えています。三川殿の再建には「大木作」の伝統木構造が維持され、その後、他殿の工事で次第に鉄筋コンクリートが使用されるようになったのと比べて、文化資産としての三川殿の価値はより貴重なものとなっています。
三川殿に見られる木彫のうち、「員光」はことさら特徴的で、中国に伝わる歴史物語や民間の伝説、神仏の典故、大衆小説等から題材をとり、職人の手によって物語の内容がコマ割りのごとく構図化され、下書きに忠実に彫刻が施されています。「員光」に施された彫刻は殿前と殿内に分けられますが、殿前の正面中央には「五老観体太極」、龍屏には「喜鵲迎春」「山王図」「鳳穿牡丹」が見られ、虎屏には「喜上眉梢」「世上大吉」「一路連科」があります。また、龍柱のある殿前入口には、龍屏に「張翼徳大鬧長坂坡」、虎屏に「陸文龍大鬧朱仙鎮」が見られます。かわって三川殿内中門の龍柱には、龍屏に「黄魏争功」、虎屏に「比箭定親」が刻まれています。前述した「員光」の作品は、ほとんどが黄亀理の手掛けたものです。
一方で、「雀替」「豎材」「花籃」「吊筒」「獅座」等もそれぞれ異なる特色を見せています。三川殿の梁柱の直角部分にある「雀替」の木彫は非常に精巧で、様々な題材をもとにし、「四聘-堯聘舜」や「楊香打虎」といった人物彫刻、花と鳥で構成された「挙世同歓」といった吉祥図柄が見られます。
軒下の短柱や天井に造られる「藻井」の「栱」に見られる「豎材」の彫刻は、多くが高浮彫りもしくは半丸彫りで表現されています。中でも特徴的なのは殿内の天井に造られた彫刻で、八卦の形に渦巻く「栱」の上には、民間で広く親しまれている「八仙」の人物が彫られ、ちょうど八卦の形に沿って、外縁を取り囲んでいます。